社長挨拶とこんな人

社長挨拶

おかげさまで弊社は創業48年を迎えました。これまで支えてくださったたくさんの方々に心より感謝申し上げます。
私たちは建物の外観の大切な顔の部分の施工をさせていただいているプロフェッショナル集団です。屋根・外壁・雨樋工事を通じて、過酷な環境下にある建物の外観を長期に守り、きれいな仕上がりとデザインを通じて、お客様が自慢できる外観づくりを常に心がけています。
昨今の建設業界は人手不足、特に若手不足が懸念されております。一流の職人技術を次世代へ継承していくためにも、私たちが変わらなければなりません。福利厚生制度の充実など職場環境の改善、そしてプロ職人であると同時に若者の見本となれるような人格力を身につけることも我々の使命と考えます。技術は人格の上にしか立たないのです。そのためにもお互いが職場を通して感謝し成長しあえるよう、日々の朝礼や社内勉強会・研修制度を活用し「人材の育成」に力を注ぎます。
弊社のビジョンは「愛知県でNo.1の顧客満足・社員満足の建築板金業のお店を創る」ことです。創業者から受け継いだ精神「いつも人に尽くし、笑顔で元気に必死で働く」を忘れず、今後も人間力・技術力・サービス力を磨き、日々進化していく所存です。

代表取締役 鈴木修治

社長はこんな人

名 前 鈴木 修治(すずき しゅうじ)
生年月日 昭和48年11月1日
役 職 有限会社鈴木鈑金 代表取締役
担 当 お客様窓口・営業・打ち合わせ・経理等の事務業・
たまに職人さん(私の職人姿は幻の姿で貴重・・・
ただ人手不足なだけですけど)
血液型 A型 (とても几帳面でキレイ好き)
出身地 名古屋市中村区の現住所
学 歴 名城大付属高校 機械科卒業
名古屋情報経理法律専門学校 経理課卒業
近畿大学短期大学部 通信教育部卒業
職 歴 21歳より3年間フリーター、24歳より現在の鈴木鈑金へ
身 長 168cm
体 重 72~75kgの往復 (早く職人時代の65kgに戻りたい)
性 格 明るくネガティブ(笑)
好きな食べ物 ラーメン・カレー・焼き肉・アイスクリーム (最後の晩餐は、間違いなくラーメンです)
趣 味 子守・旅行(国内・外問わず、特に温泉好き♪)・買い物(服・食料品・雑貨等)・読書・お笑、経済・スポーツテレビ鑑賞・麻雀。
スポーツ新聞大好き・野球は大のドラキチ・ゴルフ(今は休眠中)

【 MY HISTORY 】

子どもの頃

1973年11月1日生まれ。姉2人の末っ子長男。3人姉弟です。下の姉には、よく泣かされました。
ずっと私はおばあちゃんっ子でした。小さい頃は、おばあちゃんにばかり甘え、よく大好きな電車におんぶして乗せてもらい「およげたいやき君」の歌を一緒に歌っていました。
子供の頃は仲間と仲良くなるのが大得意、私の家がたまり場となり仲間の自転車が最低3台、多いときは10台ほど家の前に並びました。
小学生の時はサッカー部に所属、レギュラーになれず2軍のキャプテンという後輩の面倒見係り、あとファミコン登場でテレビゲームに熱中しました。
成績は、お尻から数えたほうが早い順位で外と家で遊んでばかりいました。中学生の時も、小学生の時と変わらずの生活、テニス部に所属を変え勉強はたいしてしませんでした。
通知表は、2が多く成績の良い下の姉に「アヒルの子」と言われていました。(※2がアヒルに見えるから)ただ美術だけは、小学生の時からずっと5をいただいていましたよ。
成績があまり良くないのをみかねて、母親が大学生の家庭教師を強引に付けました。次第に成績が伸び、中学を出る頃にはなんとかオール3以上になりました。

アルバイトの日々

父親に「板金屋は儲かるぞー」とずっと言われていたので、少しでも知識を入れようと高校は機械科を選びました。成績は家庭教師効果でクラスでも常に10番以内、2年生には進学科に入り勉学に勤めましたが、家庭教師の方が就職して辞めてしまい成績は大学入試を前にみるみる急降下。
2年生の夏休みに父親の仕事を真剣にアルバイトをしましたが、あまりに夏の屋外での板金仕事のハードさについていけず、家業を継ぐのを辞めたくなりました。
3年生の時は、日本はバブルの絶頂期でした。成績の良くない子でも大手に入社出来る人手不足の時代です。就職はいつでも出来る、と大学・家業もあきらめた私は専門学校で経理を学び税理士を目指そうと思いました。事務職なら、夏でも暑くないと言うバブルの時期の甘い考えでした。
専門学校に入学した私の成績はまずまず上位で資格も多数取得しましたが、卒業時にはバブルがはじけ就職難の氷河期を迎えました。まだ就職したくなかった私は、アルバイトを3年ほど続けました。CDの出荷作業・服屋さん・運送屋さん・血液の検体を取りに病院回りなどなど・・・多数のアルバイトを経て24歳の時、現在の鈴木鈑金の父親の家業を継ぐことに決めました。正直、アルバイト仕事は時間の無駄に感じ始めていたからです。

父親の死

入社して1日目の仕事が、いきなり5階建てのマンションの屋根工事です。30kgの耐火ボードを鉄骨の上を歩きながら伏せていきます。初心者にとってその作業は曲芸のようで、職人さんがスーパーマンかサーカス団の団員に見えた程です。足の震えが止まらず、家業でなかったら初日で辞めていたでしょう。
最初から父親と仕事のことでケンカをよくしました、親子だから甘えもありました。周りの社員さんにも色々と迷惑をかけたかもしれません。私はもともと人と接することが好きな人間なので、職人仕事に少し戸惑いがありました。 跡継ぎになることにまだ迷いがあった29歳の時、父親がゴルフ場で急死をしました。私はゴルフ場の近くの病院で父親の亡くなった姿を見ました。
もともと心臓が悪かったのですが、「私がもっと親孝行をしていれば、こんなに早く死ななかったのに」と、人目のないところで号泣しました。
私の父親はいつも笑顔で本当にたくさんの人に愛される人でした、夜は大勢の人を家に上げお酒を振舞ったり、困っている人がいたら率先して助ける思いやりのある人でした。葬儀には、500~600人の人が集まりました。父親が、いかに大物だったか実感した日でした。

鈴木鈑金の社長として

葬儀の後、息子の私が2代目として継ぐことになりましたが、経験年数5年の私は、職人としても中途半端で今まで見積もりもしたことがなければ社長仕事が何をしたらいいのかチンプンカンプンです。
たくさんの人に電話をして聞いたり、会って教えていただいたり徹夜をしてでも、なんとか会社を守ろうと毎日必死で働きました。
社員さんも、仕事もロクに出来ない年下の私なんかが社長で抵抗があったと思います。それでも、私に誰も辞めず現在まで付いてきてくれています。これも、父親が残してくれた信頼と会社の太陽の存在である母親のおかげと感謝しています。今回のホームページを開設するまでの7年間は、会社は山あり谷ありでした。
良い時もあれば、リーマンショックで大幅な赤字を強いられたこともあります。
人生すべて勉強です。私と会社・社員さんはこの先も学ぶことをやめず大きく進化をしていくつもりです。
父親が残したこの鈴木鈑金は、たくさんの人に愛され喜ばれ感動していただきながら、100年続く企業を目指します。
現在、私は嫁と力を合わせ、これまで変化のなかった会社を変えようと、たくさんの勉強会やセミナー・研修に参加しています。
建築仕事でも今までにない新しいスタイルでオンリーワンを目指し、この鈴木鈑金を盛り立てていくことをここで宣言します。

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